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なぜ、医師の「裁量権」は制限されるか。

【2007/10/10】

最近、あるプロサッカー選手に対する静脈注射(点滴)がドーピング行為にあたるか否か、議論を呼んでいる。最近の論調を見ると「正当な医療行為であるか否かはそれを行う医師の判断に委ねられ、しかもそれには誰も口を挟めない」かのような風潮に対して、今回の事例を判断した当事者(日本サッカー教会スポーツ医学委員長)という立場を離れ、一医療人として、また医師を教育する立場の人間として疑念を抱かざるを得ない。<「医療とドーピング」私の視点  医師個人の判断がすべてか/ 聖マリアンナ医科大学学長  青木 治人(あおき・はるひと)(朝日新聞、2007.9.5.、13版 p15 声・主張> 

 まず、一般の医療行為における正当性の判断は誰がするか、であるが、多くの医師はそれこそ医師の「裁量権」であろうと考えているかも知れない。しかし、医師に委ねられている裁量の範囲は、医師が考えているほど広くはない。医師には「応召義務」があるのだから「裁量権」はあるはずだと考えたいところであるが、「一般社会」はそう考えていない。

 
医師 [英] physician [英] medical doctor

医療を業として行う者の呼称であるが,日本では医師国家試験に合格して厚生労働大臣の免許を受けなければ医師と称したり,これと紛らわしい名称を用いることはできない(医師法18条)。医師には業務上多くの義務と責任(応召義務,守秘義務,診療録の記載など)が定められている。日本の医師数は 248,611人(1998年末現在)である。 医学大辞典 CD-ROM (C)2003IGAKU-SHOIN Tokyo

 正当な医療行為には、満たすべきいくつかの要件がある。それは(1)倫理的である。(2)医療行為が患者さんの病態、症状に対して必要、かつ有効で適正な範囲内のものであることがその時々の医学レベルで合理的に説明できる。(3)患者さんの自己決定権(インフォームド・コンセント)が確保されている ----である。


医の倫理 [英] medicalethics

医師が守るべき規範を示したもの。医学,医療が出現して以来存在する。医師のとるべき態度や医師-患者関係についての規範をいうことが多いが,生命倫理,臨床倫理と重複する部分も大きい。有名な例としてヒポクラテスの誓いがある。医学大辞典


インフォームド・コンセント:

医学的処置や治療に先立って、それを承諾し選択するのに必要な情報を医師から受ける権利。医療における人権尊重上重要な概念として各国に普及。(広辞苑)
 医師に裁量が委ねられるのはそのような要件をみたしている医療行為の範囲内においてのみである。すべての医療行為について、医師自らが正当であるか否かを判断してよいとか、まして誰からも口を出される筋合いではない、とは決して考えられていない。これが一般の医療行為における医師の裁量の範囲である。


裁量権《医師の》 [英]discretion

医師は高度な専門的技術を用い,わずかなミスにより生命に重大な結果を招来するため,高度な注意義務を課されるべきであるが,治療行為にはある程度の危険を冒さなければならない場合もある。従って,その注意義務には医師に相当の裁量が認められる余地があり,これを医師の裁量権という。

ただ,近年,医師の専断的治療行為が患者の同意や自己決定権との関係でどこまで許容されるかについては争いがある。がんの告知は医師の裁量権の範囲内かについても,まだ決着はついていない。最高裁は平成13年11月27日,「乳がん温存療法」説明義務違反事件で「医師には,手術法の選択について患者に熟慮し,選択する機会を与える義務がある」とした。医学大辞典 医師は「自らの医療行為の正当性を判断できる権利を有している」のではなく「常に正当な医療を行うことが求められ、しかも何かことがあればその正当性を説明、立証する義務を負っている」と考えるべきである。

「医科大学」で学生が學ぶことができるのは「最大多数の最大幸福」の知識(医学)である。その欠点は「少数者差別」である。「医師」になってから、一人一人の患者さんを診察し治療する仕事「医療」が始まる。それは、患者さんから「医療の本質」を學ぶ仕事である。時代は流れても、「医師-患者」の絆を主体に考える仕事に変りはない。