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「1足す1は、2にあらず」ゴルゴ13の「さいとう・たかを」

【2007/09/10】

「自分の価値観のすすめ」さいとう・たかを
 「人生の贈りもの」1足す1は2にあらず
(劇画家 さいとう・たかを(70)<2007,7,3(火曜日)夕刊、朝日新聞> 

-----どんな少年時代を: 

小学校4年生からアルバイトをしました。終戦直後で、道ばたにすら食べられる草は何ものこっていないというような時代でしたから。
 最初は女性用のクリームを売って歩いた。次にガラス屋。自転車で運ぶのが大変で。それからペンキ屋で働いて、映画の看板を描いて。キャバレーで盆持ちして歌も歌いました。あの頃はマイクが良くないでしょう、近づいて歌うと声が割れるから、声が出ないといけない。私の声はよく通ったんですよ。18歳で家業を継いで床屋です。劇作家になるまで7つ仕事をしました。
 まあ、私の年代の連中はみなそんなんだったんじゃないですか。良く働かされました。

----たかを少年が考えていたことは: 

すべてに疑問を持っていましたね。先生が黒板に「1+1=2」と書いて覚えろと言う。でも、その1と1が、角度も違うし長さも違う。明らかに別物に見えた。それを足して「2」というのどうしても納得できなかった。
 戦争中は、なんで大人のけんか子供が巻き込まれなきゃならんのかと思った。戦争が終わると、それまで鬼畜と呼んでいた相手と友達になろうという。絶対的な正義だったのが悪になったり。なんだこれは、と。-

---既に『ゴルゴ13』のテーマの芽が: 

一番悩んだのは小学校6年から中学のころかな。人間の存在そのものに疑問を持った。人間は地球の中では一番害虫だなと。人だけが地球のリズムに逆らっている。逆らうどころか破壊している.........。そんなことばっかり考えていた。 たどり着いたのが、すべては人間の考え出した便宜法だということです。どうしても納得できなかった「1+1=2」も、ただの約束事。本当は1と1とは決して交わらない、1と1に過ぎない。人と人もどこまでいっても違う人間。決して交わらない。それを了解して、本当はお互い「中」をとるべきでしょう。そうなれば人間関係も、国と国の関係も、摩擦は起きないはずですよね。「1足す1は 2にあらず」。それが私の原点です。 
 早いうちに自分なりの価値観ができた。それは今もかわりませんね。
(聞き手・友澤和子)


「さいとう・たかを」プロフィール:(e-mail:info@saito-pro.co.jp) 

本名:齋藤 隆夫
国籍:日本人もしくは日系人
年齢:不祥 身長:166
体重:70
血液型:A
コードネーム: GORILA 

特徴:サングラス、コマンド髪、広い肩巾、7ヵ国語に通じず「大阪弁」が残る。射撃、暗殺術、毒物及び爆発物取り扱い、みんなダメ。スイス銀行に口座なし。


劇画履歴書:

昭和11年11月3日
(‥‥なぜか文化の日)生まれ。小学、中学を通じてケンカと図工はクラスでトップ。ボクサーか画家になりたいと思ったのがこのころ。中学時代には、なぜか相撲部員。ヒマとコズカイがあれば映画館びたり。

昭和25年 
大阪府下福泉中学卒業後、家業の理髪店を手伝いながら、ますます映画狂いが始まる。このころ見た映画では「キングコング」「宇宙戦争」「無法松の一生」などに、いたく感動した。一日の最高記録は、4館をハシゴして7本半。
このころより、さし絵画家から、ストーリー漫画家に志望が変更したのは映画の影響と、進駐軍が持ち込んだアメリカ漫画誌、いわゆる"10セント・コミックス"を見たことによる。当時の漫画家では、峠鉄平、酒井七馬、手塚治虫が大好きだった。

昭和27~31年 
家業の理髪店を継がされ大阪・今里新地に出店。昭和30年 大阪(日の丸文庫)より「空気男爵」で漫画界にデビュー。2年近くもかかった大力作。以下略。
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