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ルノワールのリウマチとの闘い、笑いの効用

【2008/03/10】

●「リウマチと闘いながら描き続けたルノワール」

<篠田 達明(しのだ・たつあき:1962年名古屋大学医学部卒。整形外科医にして作歌。医学を題材にした歴史物の著作が多く、主な著書に「徳川将軍家十五代のカルテ」「歴代天皇のカルテ」(新潮新書)などがある。(.NikkeiMedical:2007.7.,p226:.ESSAY「病と歴史への招待」)>

豊満な裸婦や愛らしい少女を描いたフランスの画家ルノワールは、わが国ではとりわけ人気がある。身長168センチで小柄なところも日本人には親しみが持てるようだ。そのルノワールは人生後半の30年間を、関節リウマチとの戦いにあけくれた。 

リウマチの初発は1888年、47歳のとき。その日、誘因なく悪寒を覚え、顔面の激痛に襲われた。その日のうちに両手指のこわばりと痛みを来し、両足まで痛みだした。医師に診てもらったところ、リウマチ様関節炎の診断をうけた。しばらく通って痛みがおさまったので、これからは体力をつけようと自転車をこぎをはじめた。手指の機能を回復するためボールを使ってお手玉の練習にも励んだ。こうしたリハビリが功を奏したのか、しばらくの間、手足の痛みは薄らいでいた。

1897年、56歳の秋、その日は雨が降っていたにもかかわらず、サイクリングにでかけた。だが走っているうちにぬかるみに車輪をとられて激しく転倒した。右半身を強く打ち、気がつくと右腕を骨折していた。医者にギプスを巻いてもらい、骨折は6週間で治癒したが、その数週後より右腕に強い痛みが走るようになった。
主治医に関節リウマチといわれ、沈痛剤で痛みを抑えていたが、1900年頃より歩行困難になるほど症状は悪化した。医者の勧めで南仏ニースの近くのカーニューに居を移したものの、転地療法によっても病気の進行はとめられなかった。
その後、ウイーンの有名なリウマチ専門医の治療ををうけたが病勢はさらに進み、1910年以後、終日車椅子に座る活動が始まった。四肢の関節は硬直してほとんど機能を失い、両目の周囲の筋肉が萎縮して顔つきまで変った、ルノワールの鈎のようにゆがんだ顔は客たちを驚かせた。

それでも弟子たちに古いオリーブの木の根元まで車椅子を運ばせ屈曲した手指に絵筆をはさんで絵を描き続けた。最晩年まで絵筆をとることに執念を燃やしたルノワールだが、1919年の冬、肺炎を患い、同年12月3日、呼吸不全をおこして79年の生涯を閉じた。

彼の時代にはリウマチと診断されても、なすすべがなかったが、もしルノワールが現代に生きていたら、いま話題の生物学的製剤「ルミケード」を用いて関節軟骨の破壊進行を阻止することができたかもしれない。

また、最近、リウマチに対しては笑いの効用も注目されている。関節リウマチでは、血液中に炎症性サイトカインが増えているが、ふだん笑ってすごすと、この悪玉物質が減ることが確かめられている。
とはいえ、リウマチの患者さんにとってはかなり難しい。そんなときは割り箸を口にくわえて噛みしめ、下腹に力をいれて力むと顔面の血液がよくなり、からだが温かくなって笑いににた効果が得られる。

厚生労働省はリウマチ科や神経内科などの多くの診療科を標榜科名から外そうと企画している。長らくなじんだ「リウマチ科」の看板を外されたら、患者さんたちは迷える小羊のように専門医を求めて辺りをさまようだろう。

●関節リウマチ:

原因不明の自己免疫疾患。主病像は慢性,対称性,多発性,びらん性の滑膜炎、これが持続する中で関節構造変化と運動機能障害が発症。 

●炎症性サイトカイン: 

起炎物質による刺激で産生され,炎症反応を増幅,持続させ炎症反応の経過に影響を与えるサイトカイン。リンパ球,マクロファージなどの免疫担当細胞をはじめ,線維芽細胞,血管内皮,滑膜細胞など種々の細胞から産生される。

●強制笑い:

中枢神経疾患でみられる病的表情。強制泣きと同様に,ある刺激で感情とは無関係に笑い顔になる。