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「優等生」は「羅針盤」を持たない船

【2006/11/10】

自分を「不幸にしているのは、自分の妄想」。「アルコール依存の患者」さんが教えてくれた事は、「先生(医師、他人)に頼っても仕方がない。自分がしっかりしなければ駄目だ」ということでした。

 「入院して、本を読み、(その内容を)暗記し、アルコールの危険な事を全部知っても、退院すると、すぐ飲んで病院に戻ってくる患者さんの言葉」。自分は、「優等生だからですよ」という。

そして、優等生がいけない理由として、「優等生は決められた勉強をキチンと勉強していればなれます。子どもの時から、ぼくは優等生でした。優等生というのは狭い部屋の真ん中に行けといわれれば、それができるような能力です。四畳半から十畳に広がり、百畳の大広間に広がっても、真ん中に行け、といわれればそれができます。でも、大平洋の真ん中に行けといわれたら、できません。羅針盤がなくては行けません。

その羅針盤が、決められたことだけしている優等生には作れなかったのです。」「じゃあ、今から持つように努力すればいい」と私(医師)はいった。しかし、彼は頑迷に自分の主張を繰返すだけで、自分の考えを換えませんでした。優等生だからです。そして、私は、治療に失敗しました。(なだいなだ「こころ医者入門」NHKこころをよむ。P157.


「アルコール依存(自分のこころの弱さ、妄念、こだわりの心、など)」を治すには、ひとりひとりが、じぶんの「治療者」になる必要があります。「人間は一人では生きていけません。ですから、お互いに、行動や考えをチェックし合いながら生きていきます。(誰でも)人間は、「間違う」ことがあります。それを周りの人たちの考えと比べて自分の考えに間違いがあれば、修正しながら、現実に合わせていきます。」


「ところが、一人になって、だれとも接触しなくなると、間違っても修正できず、どんどん妄想が発展していきます。「感覚遮断」という実験で、情報を遮断された状況では、幻覚や妄想などの病気の症状が、だれにでも出てくることが分かっています。

人間は、「恐怖」や、「不安」を避ける反応として、「綴じこもる」傾向がありますが、それには、感覚遮断と同じようなこうした危険が潜むというわけです。(中略)しかし、「集団」は、病気の治療にも大きな役割を果すのです。「毒は同時に素晴らしい薬もなる」のです。集団で「大人のモデル」を探し、それを目標に成長していけばいいのです。

 「孔子」は、東洋でも最もポピュラーな、人格のモデルでしょう。「三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(したが)う、七十にしてこころの欲する所に従い矩(のり)をこえず」といいました。人間は人格的にいつまでも「進化」するし、そう努力せねばならぬという教えでしょう。

 日常に起こる事件や犯罪を見ると、人間は未熟になったように見え、なんだか後退したように見えるかもしれませんが、それは、見かけだけです。こうした「人格形成へのストレス」を前に、「成長できる人」が多くなれば、「後退してしまう人が目立つ」だけのことです。このようなストレスがなかった昔に戻るのでなく、「自分自身のこころ医者」になって、与えられた問題に立ち向かえばいいのです。 P162.

◆孫子/孔子〔人生/経済モデルの指針〕

政治家や経営者が頻繁に愛用する言葉の原典。なかでも「戦わずして勝つ」を真髄とする孫子の兵法は定番中の定番。孫子の兵法のなかにある「成巧・衆に出づるゆえんは、先に知るなり」という言葉は、間諜(スパイ)を活用して敵の情報をいち早く収集し、有利な戦略を展開することが重要であると説くもので、高度情報化社会における企業経営の要諦として用いられるもの。

孔子は言うまでもなく『論語』を著した中国の賢人。『論語』は経営理念のみならず、人生論としてもたびたび引用される指針となるモデルの宝庫である。[株式会社自由国民社現代用語の基礎知識2005年版]

 孔子:(こうし)(前551-前479)中国、春秋時代の思想家。儒家の粗にして儒教の創始者、名を丘、字は仲尼(ちゅうじ)、魯(山東省曲阜)の人、幼にして父母を失い、貧苦の中で学に志し、周公を理想に人物と仰いだ。魯の国に周公の理想的政治を実現しようとして大臣になったが、反対派のために実現できず、国外に逃れて諸国を巡暦した。このころから弟子団が形成され、孔子は小国分立の中で中国の統一を願ったが果されず、18年間の巡暦の後、魯に帰った。周公の理想を伝える<書経><詩経>を編集し、(礼)を重んじ、弟子の教育に当った。孔子は(仁)を中心として人倫を建設することを目的とし、葬礼、孝などの実行を大きな徳目とした。人間社会に於ける家族主義の倫理が国家・天下をを平定する原理になることを説き、そのことによって個人的自覚を得させようとした。

孔子の言行は(⇒論語)に記されているが、その弟子は、70人を超え、中でも優秀な、顔淵、びんしけん、ぜん伯牛、子責、など10人を(孔門十哲)という。儒教はこれらの弟子によって各地に伝えられ、漢代に国教となって以来、歴代王朝で重んじられ、故郷の曲阜を始め各地に⇒孔子廟が建てら盛大な祭(せきてん)が行われた。

眠国成立後は孔子批判もまた盛んであり。近くは<批林批孔運動>が知られる⇒儒教/⇒朱子学 [「マイペデイア」電子辞書版]